真夜中の夢 リューン
※リューンの物語の内容に触れているため、今後あるかもしれない再々演までネタバレを見たくないという方は読まないでください。
《はじめに》
平成がまもなく終わろうとする時代の節目に突如ジャニーズJr.がデジタルに放たれた。
わたしは軽い好奇心からSHOWROOMバーチャルジャニーズ苺谷星空くんの配信をみて、そして瞬きが終わるころには中の人、なにわ男子の大橋和也くんをすきになっていた。
気づけばプラチナのジェットに乗っていて、時代は令和に変わり、わたしはミュージカル リューン〜風の魔法と滅びの剣〜(再演)を観劇していた。
欲を言えばきりがなくて、初演のときから知っていれば…としょんぼりしてしまう。けれど時間は戻せない。ドラえもんはいない。入らなかった現場にはもう永遠に入れない。自分が見てきたもの、これから見られるものを愛するしかない。
初演リューンを観ることはもうできないけれど、兎にも角にも再演のリューンにわたしの好きが間に合ってよかった。再演してくれてありがとう。仕事で行くかどうか迷ってたけど行こうと決めたあの時のわたしありがとう。一般のチケット取ってくれたともだちありがとう。プラチナのジェットどうもありがとう。
人生において、出会えてほんとうによかったと思える作品と巡り会うことは誰にでもあることではないかもしれない。
わたしにはあった。
《はじめての生大橋くんとインドカレー》
すきになったアイドルをはじめて生で見るときの高揚感はすごい。当然だけど“はじめて”は一度しかない。テレビや雑誌で見ていた大橋くんが自分と同じ空間にいるのすごい。ほんものの大橋くんを見ている。
リューンの幕開けは幻想的で、大橋くんが幻なのではないかと思ってしまう。
厳密に言えば生の大橋くんを見るのははじめてではないのだけれど、すきになってはじめて生で見る大橋くん。
はじめて生で見るのがリューン・ダイを演じる大橋くんなのは、とてもとても刺激がつよい。
はじめて行ったカレー屋でいきなり一番辛いの頼んでインド人の店主に止められるレベルのやつ。
わたしはインド人の店主に止められるレベルの激辛カレーことリューン・ダイの大橋くんを3日連続で泣きながら食べた。
おいしいけど、辛い(からい)(つらい)。
はじめて行くカレー屋さんのふつうの辛さ基準がどのくらいなのかよくわからないように、わたしはまだ大橋くんのふつうをよく知らない。けど、これはふつうじゃないってわかる。すごい。すごいやばい。
大橋くんは発光していた。
劇場の天井を押し上げるような大橋くんのつよくてハスキーだけどのびやかな歌声。圧倒的な声の輪郭。
大橋くんのはじめて見る表情。キラキラにこにこのかわいい顔から、闇に堕ちて悦に入った顔まで。そんなことできるの?
大橋くんのしっかりした二の腕。
決して鍛え上げられたって感じではないけど、なんかどっしりしっかりふわふわした二の腕。二の腕。
汗でとんでもなくキラキラしている二の腕。
二の腕になんかあせものような湿疹みたいのもある。
ファンタジーにリアリティーを感じさせる大橋くんの二の腕。めちゃくちゃいい。いいぞいいぞ!
大橋くんは二の腕が汗で恋で、インド人が止めるやつだった。
わたし自身いま知ったばかりの大橋くんだけど、大橋くんをまだ知らないみんなに見せびらかしたいやばい大橋くんだった。
何回でも言いたい、リューンを観に来てよかった。リューンに間に合ってよかった。
《丈橋というシンメのこと》
わたしコンビ厨でもシンメ厨でもないけどこれは言いたい。
「シンメの主演舞台とうとーーーーーーい!」
関西ジャニーズJr.界隈では言わずと知れた圧倒的シンメの藤原丈一郎くんと大橋和也くん。
丈橋を語るにはわたしは新規すぎるけど、新規が見てもわかるほどの、素人が見てもわかるほどの、どどどシンメ。
え?ビジネスコンビ?はいはい。
ダンスのフォーメーションは丈くんの反対側を見れば大橋くん、SHOWROOMのバーチャルジャニーズの配信、リューン。…事務所内に強火丈橋担がいるよね??いるのはわかってる。
そんなどシンメの2人が主演で舞台しているなんて鼻血でちゃう。
戦争孤児で兄弟みたいに育った幼なじみのリューン・フロー(丈くん)とリューン・ダイ(大橋くん)。
2人が舞台上で目を合わせるだけで、もう…動悸が。
丈橋(シンメ)が目を合わせるだけで心がざわざわするこの感情はなに?この感情に名前ある?え、これが丈橋担(シンメ厨)ってこと?まさか…わたしはちがいます。むりだよ。丈橋担なんてそんな重い十字架背負えないよ…。
リューン・ダイ「大丈夫、俺にはお前がいる。もし俺が道を誤った時は、お前が俺を救ってくれる、そうだろ?」
リューン・フロー「うん、約束する、この身を呈してでも」
わー!ここで丈橋担及びシンメ厨がバタバタと倒れていく。
うそみたい、そんな夢みたいなセリフをシンメに与える!?!?!?
シンメ厨の夢の具現化が過ぎる。
そんなフラグ立てられたらもう、リューン・ダイは道を誤るじゃん、リューン・フローは身を呈するじゃん、リューン・フローが!リューン・ダイを!救って!くれ!ちゃう!じゃん!!!
このシーンは物語の序盤だけど、ここでもううるうる泣き出す(わたしが)。
泣くと涙で見えなくなるからがまんしよう(けど泣く)。
涙ってなんなの。目じゃないところから出てよ。
リューン・フローとリューン・ダイの関係性を表す大事なシーンだけど、こちらとしては丈橋フィルターもあるからリンクさせちゃうのは仕方ないし、もうこの時点でものすごいカロリー消費してる。
丈くんは雑誌「ミュージカル」のインタビューにおいて、「リューン・フローにとって、リューン・ダイはどんな存在だと思われていますか?」という質問にこう答える。
「決して離れることがない関係。2人はずっと昔から兄弟のように育てあげられ、もはや家族以上の存在です。良きライバルで、切磋琢磨し合う関係性は、切っても切れない縁だと思います」
…え!?今丈橋の話してた!?(どきどき)
いや、リューン・フローにとってのリューン・ダイの話だよね…。
いやいやいや、リューン・フローとリューン・ダイの関係性以上にそのまんま丈橋の関係性に聞こえますけど!!!
丈くん…そんなのドラマティックすぎるよ。泣いちゃう〜。わたしの丈橋フィルターのせい?しりません。
一方大橋くんはというと、ステージナビのインタビューにて、丈橋が家族よりも一緒にいる時間が長いという流れから、
「結婚生活ってこんな感じなんやんかなって思ってるねん(笑)」
は〜〜??何の話してんの?「思ってるねん(笑)」じゃないよ。これ大橋くんは丈橋の関係性の話してるんですよ…。丈橋なんなの…もう〜。もうやだ。やだ…。同じ雑誌から抜粋してないせい?え?わたしのせいなんですか??しりません。
ちなみに一応同じ雑誌(ミュージカル)の同じ質問に関して言えば、大橋くんはリューン・フローとリューン・ダイの関係について太陽と月に例えていて、まあつまりほぼほぼ結婚生活って言いたいということですよね。(雑解釈)
丈橋はビジネスコンビなんて言うけど、ビジネスにしては好きが出てる。デレデレしてる。大橋くんのことだいすきな丈くんが、照れ隠しでビジネスコンビ感出してくるけど、大橋くんのストレートな表現がビジネスを飛び越えていくところがすごい。そしてふたりは仲間でありライバルでもある。
丈橋はお互いの関心や好意の矢印がちゃんとお互いに向きあっているけど、矢印の種類がちがう。大橋くんは丈くんを含むありとあらゆる方向に矢印が向いてるけど、丈くんは大橋くんに向いてる矢印が大きい(ように見える)。
そしてそれは、リューン・フローとリューン・ダイも然り。
リューン・ダイの矛先は敵に向けられ、闇に翻弄され味方である仲間にまで向けられる。
リューン・フローの矛先はリューン・ダイに向く。
リューン・フローがリューン・ダイを救う手段は、リューン・ダイを殺すことっていう選択肢しかなく旅に出るのつらすぎる荷が激重すぎ案件…。まだ15歳だよ。脇もつるつるなんだよ(脇がつるつるなのはリューン・ダイ)。
リューン・フローとリューン・ダイ、及び丈橋の関係性は「支えあってる」って次元じゃなくて、軽率に使いたくはないけど「運命」。
運命以外のことばが浮かばない。
シンメがダブル主演で舞台に立つなんて、おたくの夢物語みたいな出来事が現実としてあるって、それだけでもリューンは奇跡のかたまり。
そして、その奇跡の瞬間をわたしはこの目で見た。(大号泣)
《リューンの物語のこと》
リューンという舞台はハッピーな物語ではない。残酷なシーンの生臭さを隠さない。
救いがないようにも見える。
だけど、どうしようもなく希望に照らされている。
その希望はリューン・フロー。
リューン・フローとリューン・ダイの一番最初の記憶は鮮烈な生ぬるくて生臭い血の記憶。
敵味方関係なく殺す、黒い獣に取り憑かれたリューン・ダイ。
ダナトリアに首をはねられる自警団長のマーナム。
自己犠牲を払い、舌と耳と腕をもぎ取られるリューン・フロー。
人を殺すのが好きなファンルン。
残酷で非道なシーンが多いけど、血なまぐさいだけの物語にならないのは一貫してずっとリューン・フローの存在が希望としてあるからだと思う。
戦争で大事なものを失って、決して消えない深い心の傷を負って、深い悲しみの中にいても、それでも代償とか復讐には結びつかないリューン・フロー。
リューン・ダイが滅びの剣に飲まれてもリューン・フローが救いにきてくれる。
自分の腕と耳と声すら失っても。
リューン・フロー、希望の象徴だよ。
駅前のロータリーに『希望』っていうタイトルの銅像立てるならモデルはリューン・フローしかないよ。
あと、リューン・フローと約束すると絶対守るから、こちらが守れない約束はしちゃいけないし、リューン・フローにあんまり無理させるような約束もしてはいけない。(教訓)
リューン・フローはリューン・ダイを救うためにリューン・ダイを殺す旅に出た。だけど、ふたりが対峙したときリューン・フローはリューン・ダイを殺さない。なぜなのか。
リューン・フロー
「もし怨み晴らせば
続くだろう
復讐の連鎖が
だから風の
歌を歌う
約束だね
キミを止める」
リューン・フローは剣を置く。
リューン・ダイがリューン・フローを殺そうとする。
リューン・フローをかばったダイス先生がリューン・ダイの滅びの剣によって死ぬ。
滅びの剣を生み出した人が死んだから呪いは解けた??
わたしこのあたり、ぼろぼろに泣きすぎてよくわかってないんですよ…。よく見えてない。
いや、泣いていなくてもわかってないと思うんだけど。とほほ。
なぜリューン・フローはリューン・ダイを殺さなかったのか。
そもそもリューン・フローにリューン・ダイを殺せるのか(心理じゃなく物理として)というのが疑問ではあったけれど、戦士の修行をしていて、尚且つ滅びの剣を手にした無敵のリューン・ダイと、片腕が義手のリューン・フローがなかなか互角に戦ってるっぽいところにリアリズムがざわざわ。ドルデンの魔剣が強すぎるのかな??
リューン・フローは剣を置いちゃったけど、リューン・ダイに殺されたらリューン・ダイを助けられないよね??
一番大事なとこがわからないから、わたしも旅に出よう…。
そんなわけで(?)ダイス先生の償いの旅の物語はリューン・ダイに引き継がれてしまった。
リューン・ダイの弔いの旅のことを想うとしんどい。
償いは終わらないということ。
リューン・ダイが家族や仲間を殺したダナトリアを憎んだように、滅びの剣によってリューン・ダイに家族を殺された人の憎しみの連鎖を想うとつらい。
生まれる場所が違えば、生まれる時代が違えば、リューン・ダイは滅びの剣に惑わされることはなかったはずだし、ダナトリアは正しき人に仕えれば、正しき道を歩めたはずだし、ファンルンは、、、わかんないけど、そう思うと切なくて。
でも、どの時代に、どの場所に生まれても、リューン・フローはリューン・フローらしさを失わないだろうという圧倒的な希望がリューンの物語が絶望に堕ちない芯としてあった。
黒い獣はリューン・ダイに何もかも滅ぼし、悲しみも憎しみも滅ぼした先に安らかな朝が来ると、希望があると仄めかす。
でもすべてを滅ぼしたら争いはなくなるけど、希望もない。
悲しみと憎しみを抱えて迷いながらも生きてくことに希望があると思う。
リューン・フローは自分が傷ついても、他者を傷つけない。
リューン・フローの歌は祈りで、祈りが魔法で、魔法は希望だったのだと思う。
戦争によって自分たちの生まれた郷をなくしたリューン・フローとリューン・ダイにとって、ルトフの里は新しい家族で、帰る場所だった。
そしてリューン・ダイは今度は自分の手で帰る場所と家族をこわしてしまった。
エルカが歌うように、時を越えて幸せだったあの劇の夜に戻れたら。
リューン・ダイがルトフの里に帰れる日が来るのかはわからない。けど帰れる日を願わずにはいられない。
《リューン・ダイと大橋くんのこと》
リューンを観て、大橋くんはまたミュージカルをする人だろうなって思った。
舞台で歌って光を放つ人。
大橋くんの歌のことを思い出すだけで涙が出てくる。
力強くてのびやかなハスキーボイスで、こんなに特徴と魅力のある声を持ってるなんて、ものすごい武器。つよすぎるよ大橋くん。
丈くんとの声の対比もいい。
大橋くん演じるリューン・ダイは、風穴をあけるみたいな力強い歌声なのに対して、丈くん演じるリューン・フローは風に乗るみたいなやわらかいうつくしい歌声で、尚且つ芯の強さがある。
丈くんの歌声ってすごい不思議で、普段のお好み焼きのソースくらい濃いなにわ感のキャラクターが消えるのすごくない??
共演者の方々はみんな経験のある厚みのある歌声でとってもすばらしくて、そんな中でも大橋くんの歌声は光を放っていた。
21歳の若さと青さが歌声に乗っていて、もう、これは5年後、10年後、30年後の大橋くんの歌のことを考えたらたのしみすぎて、健康で長生きしなくてはという気にさせられる。お酒と塩分の量に気をつけよう。適度な運動もしよう。そうしよう。
大橋くんは練習や経験だけではどうしようもない神様からもらった声のギフトがあって、しかも努力もしてる。
ダンスは自信があったけど歌に苦手意識を持っていたという大橋くんがリューンの舞台で堂々と力強く歌う様がとても眩しかった。
眩しいという表現は概念ではなく、事実としてほんとうに眩しかった。
大橋くんは発光していた。
そしてそして、歌だけではない大橋くん。演技もすごい。
陰と陽の使い分けのすごさ。
自警団長マーナムに向けられるリューン・ダイの尊敬と憧れの表情がとにかくかわいい。“目をキラキラさせる演技”の見本のようだった。
一角狼座による劇中劇でガンドラ王を演じるのがリューン・ダイ。
リューン・ダイはガンドラ王の仮面をかぶっているから顔が見えないけど、動きがコミカルでまあかわいい。しかも腰振ってるよね…。
仮面をしてしまうのせっかくの大橋くんのかわいいお顔が見えなくてもったいない!って思ったけど、ぜんぜんだいじょうぶだった。お顔が隠れてるから動きに注目できるし、仮面しててもかわいいのがわかる、良さがわかる、むしろわかる。わかる。
しかも汗が!!仮面を外したリューン・ダイのお顔にものすごい汗が!!(びしょびしょ)(キラキラ)
そのお顔の汗を衣装の袖口で拭いてあげる一角狼座の座長(大澄賢也さん)。リューン・ダイにこにこにこにこ。うぅっっかわいい〜〜。まぶしーー!実の家族を亡くしているリューン・ダイだけど、ルトフの里の人たちがほんとうの家族みたいで泣いちゃう。ルトフの里だいすき。
一角狼座のリューン・ダイはほんとうに楽しそうで手放しでハッピー。
黒い獣に取り憑かれ、敵も味方も殺してしまうとき、リューン・ダイは剣を振り回す制御のできない自分に怯えたような表情を浮かべるけれど、それでもやはりダナトリアを前にすると、そこには復讐の念が存在していて、リューン・ダイの強い復讐の意志が汲み取れる。
黒い獣が憑いたリューン・ダイの表情はそれまでのハッピーなリューン・ダイとは別人で、大橋くんがアイドルとしてコンサートやテレビで見せるにこにこの顔と全然違った。
そして歌と同様、丈くんと大橋くんの役どころの対比が強く印象づけられる。
リューン・ダイを演じる大橋くんの感情の振り幅は大きくて、丈くん演じるリューン・フローは細やかな心の機微を表現していて、エネルギーを爆発させるのとは違う難しい役どころを上手に演じていた。
対比があるからよりお互いの良さが引き立つし魅力的に見える。
丈橋の相乗効果すごい。
《カーテンコールのこと》
舞台の感想で、項目をつくってまでカーテンコールに言及することがあるかってかんじだけど、リューンはカーテンコールが異常。
異常にたのしい。
そして本編以上にぼろぼろに泣いてしまう。情緒が爆発する。情緒って爆発するっけ??
わたしはそんなにたくさん比べるほど舞台を観てきたわけではないけど、今まで観てきた舞台で、こんなカーテンコールは観たことない。
カーテンコールでの挨拶の有無は舞台によるけど、リューンにカーテンコールの挨拶があることが、救いのひとつでもあるのかもしれない。
舞台の演出上は仲間、敵、裏切り者がいたけれど、カーテンコールの短い時間の中でリューンカンパニーがまるごと家族なのだとわかってしまう。
ステージの上が愛で満ちている。
Twitterで #大橋和也のめちゃくちゃカーテンコール #ツッコミの天才藤原丈一郎 というハッシュタグを共演者のダンドイ舞莉花さんからつけられる愛されっぷり。
贔屓目はもちろんあるけど(だってだいすきなんだもん)、それにしても、丈くんと大橋くんの座長2人が共演者の方たちから愛されてるのは誤魔化しようがないほどだだ漏れてる。
そして丈橋も共演者の方たちを愛してるのがだだ漏れちゃってる。
ついさっき敵も味方も殺して終わらない償いの旅に出た人が、カーテンコールで出てきただけで、ステージに立つだけで客席及びキャストから笑いを引き出す、これ天才でしょ。まだ何も喋ってないのに。
ついさっきまでリューン・ダイだった人が、急にリューン・ダイの格好をした大橋くんになるからすごい。シフトチェンジがえぐい。
大橋くんという人の人格をまだよく知り得ないけど、怒ったり負の感情を出すイメージが全然ないし、ただそこにいるだけで人を笑顔にさせてしまう平和の象徴みたいな人が、リューン・ダイという役を演じたことのすごさを、カーテンコールで改めて思い知る。
だって今の今なんだよ、リューン・フローとエルカと一緒にルトフの里に帰ることはできなかったリューン・ダイだよ。
大橋くんの情緒どうなってるの?わたしの情緒どうしてくれるの??笑ってるのにぼろぼろに泣いてしまうよ。
これはスーパーアイドル大橋くんの魔法だよ。
大橋くん捌けるときにぶんぶん大きく手を振ってくれるからつるつるの脇が露になってどきどき。これ以上わたしの情緒どうしてくれるの??ほんとにも〜(泣)。
わたし、たいへんな人をすきになってしまったかもしれない…。いや、たいへんな人をすきになった(確信)。
《真夜中の夢のこと》
タイトルに入れた『真夜中の夢』。
演出家のウォーリー木下さんの舞台をはじめて観たのは2015年の「麦ふみクーツェ」。
それを観終えた時、この舞台がわたしの人生における暫定1位の舞台だと確信した。
とんでもなく感動してしまった。
観にいったきっかけは、好きなアーティスト、トクマルシューゴが舞台音楽を担当しているからという、ゆるりとした理由からだった。
原作小説の麦ふみクーツェは未読なものの、作者のいしいしんじさんの作品は読んだことがあったのも理由のひとつ。
次の休日の予定がなかったので、公演の数日前にチケットを取って一人でふらりと観に行った舞台だった。
話の内容を調べもせず、タイトルからも想像できないまま、特別な期待も持たずに観て、そしてたいへん感動した。
あまりに感動して興奮していたので、どうしてもそのまま帰りたくなくて、勇気をだして隣の席の初対面の人を終演後にナンパして(女の人です)スタバでお茶をしたくらいだった。人見知りのわたしが。
麦ふみクーツェのパンフレットでウォーリー木下さんがこう話す。
誰だって人生で一度くらいは音楽や小説に救われたことがあると思う。
ふとラジオから流れてきた曲、ひとり手に取って読んだ本。自分の人生が少しだけ色彩を変える瞬間が訪れる。真夜中の夢のような体験。そういう個人的でささやかな出来事が自分という人間の細胞を作っているといっても過言ではない。
(中略)
あの頃に、僕が救われたように、今回の舞台が誰かの人生の彩りを少しでも変えられたらうれしい。誰かの焚き火のような作品になるとよい。
なんて素敵なんだろう。
ウォーリー木下さんの舞台をつくる姿勢に感動してしまう。
このうつくしい体験がわたしのからだの中に新たな細胞をつくった。
これは麦ふみクーツェについてのコメントではあるけれど、こういう姿勢で作品作りをしている人と、丈橋がお仕事しているの、ほんとうに良い経験になっていると思う。
麦ふみクーツェを観たときにほんとうに真夜中の夢のような体験をした。
このとき麦ふみクーツェがわたしの人生で一番の舞台になってしまった。
そしてその数年後にわたしはリューンを観る。
リューンという体験が新たにわたしの細胞を生成した。
わたしの一番はふたつになった。
《さいごに》
リューンの舞台には、喜怒哀楽がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、でも物語には余白があること。それが魅力なのだと思う。
観た人が心を揺さぶられるし、自分の受け取り方で余白を埋めていくし、舞台が終わっても物語が終わらない。
リューンを観たひとたちがリューンロスになる。
初演時に再演希望の声がたくさんあがったのもよくわかる。
何度でも観たい。
初演時に再演希望の声をあげてくれた人達に心から感謝します。おかげでわたしもリューンを観劇できました。
アイドルを見るとき、いつだってその人の今しかない“瞬間”を見ているわけなんだけど、その中でも丈くん23歳、大橋くん21歳という、少年でもなく大人として成熟する前の、まさに今!成長してる!っていう2人の眩しい瞬間と立ち会えた時間そのものがわたしの大事な宝物になった。
ほんとうに大橋くんに、リューンに出会えてよかった。
わたしは集中力、注意力が散漫で、且つ理解力が低い、記憶力もない、教養がない、視力も悪いという、どうしようもない負の能力を持ち合わせているので、たくさん見逃すし、理解できていないところが多すぎて、人の感想を見ると嫉妬するし、文字数ばかりで薄っぺらな感想しか書けない自分の無能さにかなしくなる。せっかくのコンサートや舞台をうまく咀嚼できないこと、感動を言語化できないことに歯がゆさを感じる。本当はもっと他の出演者の方のことやシーンごとの感想も書きたかったけど、だらだらと3万字くらいになりそうだったので割愛した。
学生のみなさんは進学のためとか、就職のためだけと思わず、人生を潤すための土壌をつくると思って勉強しておくといいと思います。勉強することは知識を蓄えるだけでなく、集中すること、記憶することの訓練でもあると思います。欠落しているわたしからのかなしい切実なアドバイスです。(これを学生さんが読むかは知らない)
ジャニーズをすきになって数年経つけど、はじめてブログを書きました。自分で見返す用に書き始めてずっと下書きに入れておいたものを、大橋くんをすきになって1周年の記念に加筆修正して公開することにしました。全てをここに綴ることはできないけど、リューンの記憶を開ける鍵になるといいな、と思って書きました。
だいたいの人は冒頭のインド人のくだりで読むのをやめたと思うので、ここまでたどりついた人がいるとは思えないけど、読んでくれた人がいたらありがとうございます。
ほんとうに忘れたくないな。一生覚えていられるかな。
また、リューンに会えますように。
“いつか、きっと ”